芦屋の美術史・歴史・博物史

芦屋の美術
具体美術協会(1954-1972)
1954年、吉原治良を中心に芦屋で結成された前衛美術グループ。メンバーは嶋本昭三、白髪一雄、村上三郎、金山明、元永定正、田中敦子など。「ひとの真似をするな、今までに無いものをつくれ」という吉原の思想のもと、野外などで次々と従来の表現を超えた作品を発表しました。その活動は、フランスの批評家ミシェル・タピエによって海外に紹介され評価されました。1972年、吉原の死による解散後も国内外で展覧会が企画されるなど戦後日本美術を代表するグループとなっています。
芦屋の歴史
芦屋について
芦屋市は気候温和で古来より風光明媚な六甲南麓の景勝地として、平安貴族らにも親しまれ、平安時代の歌物語である『伊勢物語』にも紹介されています。近代には豊かな自然環境と交通の便の良さからわが国有数の住宅地として発展。洋画家の小出楢重や吉原治良、小説家の谷崎潤一郎、詩人の富田砕花、音楽家の貴志康一などの文化人が芦屋に移り住み、感性豊かな人々によって阪神間モダニズムという近代的な芸術・文化・生活様式が誕生しました。
芦屋の文化財
会下山遺跡・三条町(えげのやまいせき・さんじょうちょう 弥生時代)
昭和29年に発見された弥生時代の集落跡(高地性集落)。昭和31年から昭和36年の間に5回の発掘調査が行われ、竪穴住居跡や祭祀場跡をはじめ弥生時代の集落を構成する墓地・ゴミ捨て場・火たき場跡などさまざまな生活跡が発見されました。このほかにも弥生土器や石器、鉄器、青銅器などの遺物が数多く出土。その学術的な重要性が評価され、平成23年2月7日に国史跡に指定されました。現在は歴史教材園として整備されています。

沿革>